自適さん

 古人との意識の戦い

                                  23・8・1

今日から8月である。今朝のニュースでは、アメリカの追加国債発行が可能に成りそうな報道が為されているので、暫くは、世界経済の崩壊は先延ばしに成りそうである。取り敢えず、屋久島に引き上げる事は考えずに、「神惟道・かんながらのみち」を進む事にする。

昨日は、高木尚志氏と、北嶋さんが、大津市唐橋通りに有る「やまおか健康舎」に来て夕食を一緒にした。そして、8月18日に何人に成るかは判らないが、未来に向けての話し合いをする事が決まった。
其の集いから、何が始まるのかは未定であるが、其れを切っ掛け・儀式として天界の神霊達が動き出すのではないだろうか。

其れに、近頃、「時間」と「日付」が明確に成って来たので、「大山祇神・おおやまつみかみ」の働きが、大きく現象界に作用して来ている様である。「大山祇神」は、「時間・トキ・秋」に強く絡んでいるので、「伊邪那美命・いざなぎのみこと」の働きと関係が有るのだろう。

8月3日は、私の両親が屋久島に初めて渡った日であり、屋久島に礒邉家が出来て今年で65年目と成る。両親が屋久島に渡った時は、私は其の時、母親のお腹に有り3ヶ月の命・いのちであった。だから、65年前の今日は、私の魂しいは、既に此の地球に降りていた事に成る。

今朝のメッセージの映像には、天空に掛かる虹の様に、地上に大きく高いブリッジの様な歩道橋が掛かっていた。其の歩道橋は、石組の古い物で、誰も怖がって登らない遺跡の様な物であった。
好奇心の強い私は、小さなデジカメを手にして其の石組の歩道橋を上がって行った。そして、丁度一番高い頂の所に達すると太陽が昇って来たので、日の出の写真を撮った。

其れから、向こう側に下りて行くと、緑の稲が茂る水田が有り、のどかな農村が有った。私は、其の農村の風景を見て安心し、再び、ブリッジの方に引き返した。すると、橋の高みの所に茶色の椅子・ソファーが一個置かれていた。
其の椅子は、どうやら私の為に用意されている物の様であった。

私は、何故、其の椅子が有るのかを考えていて、其の椅子やブリッジには、名前が無いし、宣伝の看板やチラシも何も無いのである。其れに、メッセージの映像の中で言葉も何も無かった。

其の様子から考えると、私は何も意味付けの無い世界の橋を渡り、其の橋の頂に無冠の座を得た事に成る。其の高みの位置に有る椅子こそ、日本の政・まつりごとに有る「高御座・たかみくら」なのではないだろうか。

今朝は朝起きて、布団の上に静かに座り、自分の意識・気持ちを確かめると、男性の声で「格別な事は ない」と出て来た。其れは、全ての情報(森羅万象の動き)に、今朝・いまは格別な異変が無い事を意味しているのであろう。

其れから、布団を畳んで押入れに収納し、枕カバーと敷布を手にして、階下に向かって階段を下り始めると、是まで、私は「古人・ふるびと」との意識の戦いをして来ていたのだと想った。
そして、私は其の意識の戦いに勝って、再び、地上に着地(ソフト‐ランディング)しようとしているのかも知れない。

其れは、27年前無庵師匠が、私に「私は 七次元まで行って 聖霊が地上に下る為に ベンチで順番待ちをしている所までは 見て来たが 其れ以上の所には進めなかった。私が 付いているから 自適さんは其の先を見て来てくれ」と云うので、私は其の無庵師匠の希望に沿って、十次元が見える、九次元まで上り詰めたのである。

しかし、其の次元まで登り詰めて真実を知っても、其の理を理解できる人間が存在しないので、私の本当の姿・内容を知る人はいない。其れは、無庵師匠以上の人間が、此の世に存在しないと言う事である。

現在の世の中で、宗教団体を起している教祖の殆どは、其の古人・ふるびとの意識に負けた人達である。釈迦や、老子や、イエスやマルクスは、皆口を揃えて「宗教を止めなさい」と謂っている。其れは、彼等は、古人の霊魂の意識を受け入れるのではなく、古い霊魂に対して、教師として説教・鎮魂をしているからである。

だから、宗教を興して人々を集めている人々は、古い霊魂の意識に負けて、人々を過去の世界・神の光の届かない闇の穴(未来が無い)に、落とし込んでいるのである。
其れに、悟りは、自分1人が全宇宙と繋がり、宇宙の情報を取り戻す事であるから、他人の下に付くと言うか、人間を拝んで居ては、悟る事は絶対不可能である。

だから、老子や、釈迦や、イエスには教師は存在しないし、彼等は宗教組織を創ってはいないのである。私は、師として無庵師匠の名を上げてはいるが、其れは、物事を習ったとの意味ではなく、イエスをキリストとして開眼させたパプテスマのヨハネと同じ意味の、私の意識の門を開いた「鍵人・キーマン」としての達人・賢者の意味である。

今朝のメッセージの映像は、天空の物質のブリッジ(虹の橋)を渡る事が出来ても、此の三次元の人々を渡す事は、非常に難しい理・ことを示唆しているのであろう。
其れは、仏教の教祖である釈迦が「彼岸に人々を渡す」との概念を創りだしたのと同じであり、イエスキリストが人々に「ラクダが針の穴を潜るより 人間は救い様がない」と表現した理・ことと同じ様なモノである。

昨日の話し合いで、8月18日に第1回の集いを、此の「やまおか健康舎」の秀山荘で行う事を決めたが、其の事で天界にブリッジが掛かったのかも知れない。

何かの行動を、私自身が行う事は、無庵師匠の謂う「何も為さざるな そのままで良い」との言葉に反する様だが、私自身が自分の意識で何かを始めよう・興そうと考えるのではなく、人々が集まって来て、決まって行く事は、自然の流れであり、神の意志に適っているのではないだろうか。
其れが、本当の日本の伝統である「神惟道・かんながらのみち」であり、親鸞聖人の謂う「自然法爾・じねんほうに」なのであろう。

今日は、是から、徳島の方に向かって走る事にする。8月17日まで、残り16日である。其の間に、何処まで、事を詰められるか判らないが、私は神の手足として、前に歩いて行くしか他に道が残されていないのだ・・。

                              平成23年8月1日

                                  礒邉自適
by takaomimasu | 2011-08-01 15:45
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